福井の歴史が垣間見える場所 創業昭和6年の老舗料亭
「料亭中松」は大正末期に創業し、旧陸軍鯖江36連隊の調理軍人を務めた2代目の若かりし頃、昭和6年に現在の松阜神社一の鳥居前「東小路」に移転、町の眼鏡、繊維、漆器産業とともに営ませて頂きました。
鯖江藩間部公を祀る松阜神社の御膝元で、中松は日本料理を通し、私たちが受け継いできた和食の食文化の素晴らしさを伝えていきたいと願っております。
旬の食材を吟味し、その持ち味を生かす料理・・・。
料理と調和し、さらに豊かな五感の楽しみをもたらしてくれる季節の移ろいや神社での催し・・・。
おいしい食が体のためになり、また今では忘れられていきそうな日本の素晴らしさを再発見しながら、お客様と感動をともにできる喜びを追い求めてまいります。
近傍には、鯖江藩の歴史を知る数少ない建築物がございます。
松阜神社(まつがおかじんじゃ)
松阜神社の祭神は鯖江藩主間部家の祖、間部詮房、初代詮言、七代藩主詮勝で併せて大彦命もお祀りしている。
現在の神社本殿は木造瓦葺・切妻造りで、拝殿は木造瓦葺・千鳥唐破風・入母屋造の様式。受福堂は数度の修復が行われていますが、御門はほとんど原型を保ち、鯖江藩の歴史を知る数少ない建築物の一つです。
松阜神社(まつがおかじんじゃ)
明治維新後、詮勝が老中まで勤めた立場にもかかわらず、安政の大獄に関与したとして鯖江町の独立を認められませんでした。そこで当時の総代戸長たちが、数度にわたり懇願し明治十五年(一八八二)に実現いたしました。
受福堂御門(じゅふくどうもん)
これを契機に藩主をお祀りすることとし、鯖江藩邸から移転されていた受福堂とその門(市指定文化財)を間部家別邸「松阜仙窟」跡に移転して神社とし、松阜仙窟にちなみ「松阜神社」と命名されました。